ざっくり言うと
- 1 世界初の幼稚園と創設者【始まりはドイツから?!教育学者・フレーベルによって世界に誕生した幼稚園】
- 2 世界初の幼稚園と創設者【現在の日本で”フレーベルの教育思想を原点”とする幼稚園】
- 3 現在の日本で”フレーベルの教育思想を原点”とする幼稚園 千葉県柏市【学校法人 加賀キンダーガルテン 加賀幼稚園】
- 4 現在の日本で”フレーベルの教育思想を原点”とする幼稚園 大分県日田市【学校法人 フレーベル学園 三芳幼稚園】
- 5 世界初の幼稚園と創設者【フレーベルってどんな人?】
- 6 世界初の幼稚園と創始者フレーベルの生涯【幼少期~少年期】
- 7 世界初の幼稚園と創始者フレーベルの生涯【青年期~壮年期】
- 8 世界初の幼稚園と創始者フレーベルの生涯【中年期~晩年期】
- 9 世界初の幼稚園と創設者フレーベルによって誕生した世界で初めての幼稚園【キンダーガルテン(子供達の庭)】
- 10 世界初の幼稚園と創設者【人から人へ、時代から時代へ~受け継がれるフレーベルの思想~その1】
- 11 世界初の幼稚園と創設者【人から人へ、時代から時代へ~受け継がれるフレーベルの思想~その2】
- 12 まとめ
- 千葉県柏市
学校法人 加賀キンダーガルテン
【加賀幼稚園】 - 大分県日田市
学校法人 フレーベル学園
【三芳幼稚園】 - 大きさや高さはどのくらいにしようかな。
- 入り口と出口はどこにしようかな。
- 家のなかには、テーブルや椅子をおこうかな。
突然ですが、今この記事を目にしてくれている人のなかで、小さな子供のいる子育て世代の方に質問です。
みなさんは、ドイツの教育学者【フリードリッヒ・フレーベル】と言う男性をご存知ですか。
実はこのフレーベルという男性、みなさんの子供が通う幼稚園という言葉や施設、積み木などの教育遊具を”世界で初めて創った”とっても凄い人なんです。
今回は、世界で初めての幼稚園【キンダーガルテン】を創設するに至るまでのフレーベルの人生、そして現代に繋がるまでの物語をお届けします。
目次
世界初の幼稚園と創設者【始まりはドイツから?!教育学者・フレーベルによって世界に誕生した幼稚園】
今では日本各地に様々な教育を取り入れる幼稚園が開園し、幼稚園という言葉や施設も当たり前の時代となりましたね。
この当たり前となった幼稚園の存在ですが、実は幼稚園の始まりは日本ではないんです。
僕達が産まれるよりずっと昔に、フレーベルというドイツの教育学者が考え、世界に産み出したものなんです。
それはつい先日、うちのママがフレーベルの幼児教育や思想について、記事を書いていたからなんです。
フレーベルの思想や幼児教育をリサーチするママの隣で、僕もフレーベルとはどんな人物なのかを調べてみました。
そこで目にした、数々の文献から語られる彼の生い立ち、人生、幼児教育への思想に胸を打たれてしまったんです。
そして、彼の素晴らしさを、彼が現代にのこしたものを、僕も発信しなければと思い立った訳です。
ベテランライターのママからの心強いサポートもあるということで、今回はフレーベルがその生涯をかけて、世界初の幼稚園を創設するまでの物語をお届けしていきます。
ということで、彼の物語に入る前に、まずはみなさんが一番気になる【彼の幼児教育を原点とした幼稚園】の紹介から始めたいと思います。
世界初の幼稚園と創設者【現在の日本で”フレーベルの教育思想を原点”とする幼稚園】
今回は、日本に数あるフレーベル教育を原点とする幼稚園のなかから、特にオススメしたい千葉県と大分県の幼稚園をご紹介しますね。
現在の日本で”フレーベルの教育思想を原点”とする幼稚園
千葉県柏市【学校法人 加賀キンダーガルテン 加賀幼稚園】
1件目にご紹介するのは、千葉県柏市にある【学校法人 加賀キンダーガルテン 加賀幼稚園】 です。
加賀幼稚園では、子供達が明るく元気に過ごせる環境作りを始め、幼稚園生活や園外保育を通して、子供達自身が【見て・触れて・体験する】することから生まれる成長を、とても大切にしているんです。
1975年4月に開園した加賀幼稚園では、彼が考えた【初心に返った幼児教育】を目的としたことから、彼が創設した【キンダーガルテン】を法人名の由来にしたそうです。
かつて、キンダーガルテンで行われていたように、子供達自身が様々なものに【見て・触れて・体験する】ことを大切にした加賀幼稚園。一体どのような教育が行われているのでしょうか。
気になる教育方針や教育内容について、みていきましょう。
フレーベルが考えた、初心に返った幼児教育を原点とする【加賀幼稚園の教育方針】
加賀幼稚園の掲げる教育方針
『体力』丈夫な身体づくり
『笑顔』明るく楽しい気持ちのあらわれ
『協調』互いに助け合う心
『創造』考えたりつくりだすよろこび
『個性』無限の可能性を引き出すために…
『才能』グローバル時代に通用する子供に…
『意欲』おうせいな好奇心を大切に
『愛』やさしい心…ゆたかな心…
『感性』鋭敏な感受性を豊かに養う
『自立』しっかりとした責任感と行動力
『調和』心と身体のバランス
フレーベルの考えた初心に帰った幼児教育を原点とする【加賀幼稚園の教育内容】
それでは次に、加賀幼稚園の具体的な教育内容について見ていきましょう。
・こども英会話・リトミック・体操
・音楽、鼓笛、茶道などの情操教育
・科学博物館や動物園、水族館など 様々な場所での園外保育
日々の保育以外でも、1年間を通して、アンデルセン公園や科学博物館、水族館など、様々な場所での園外保育に、とても力をいれているんです。
こうした園外保育のなかで、自然や動物、科学など、様々なものに【見て・触れて・体験する】ことが、子供達の学びや成長へと繋がっていくんですね。
また希望者には、子供達の得意なことや興味のあることに合わせた、サッカー教室やチアリーダー、学研教室などの独自の課外教室も設けているそうですよ。
彼が考えた【初心に返った幼児教育】を原点とし、日々の保育や園外保育などの幼稚園生活のなかで、子供達が様々な体験を通して成長していく加賀幼稚園。
幼稚園の環境や、年間行事など【学校法人 加賀キンダーガルテン 加賀幼稚園】について、もっと知りたい!!そんな方は
現在の日本で”フレーベルの教育思想を原点”とする幼稚園
大分県日田市【学校法人 フレーベル学園 三芳幼稚園】
続いて2件目にご紹介するのは、大分県日田市にある【学校法人 フレーベル学園 三芳幼稚園】です。
三芳幼稚園では、緑豊かな園庭や、インコや金魚の飼育など、自然や動物達と触れ合える環境のなかで、子供達が夢中になって【遊び】ながら【体験】していくことを、とても大切にしています。
三芳幼稚園が彼から受けた影響…それは、彼が子供達を教育していくなかで、最も大切にしていた【遊び】だったそうです。
設立から40年、自然や彼の教育学を学びながら、今まで歩んできた三芳幼稚園の自然環境や、遊びを大切にした保育は、まさに彼が創設した【キンダーガルテン】のようですね。
日本のキンダーガルテンのような三芳幼稚園では、子供達は一体どのような幼稚園生活を送っているのでしょうか。
それではさっそく、気になる教育方針から見ていきましょう。
フレーベルが大切にしていた自然や遊びを原点とする【三芳幼稚園の教育方針】
三芳幼稚園 教育方針
教育基本法に基づき
健康を土台とし
けじめのある生活態度を養い
子供の感情を豊かに育て
知的欲求を伸ばしていこう
それは子供が自立の力を
おのずから身に付ける事である。
フレーベルが大切にしていた自然や遊びを原点とする【三芳幼稚園の教育内容】
では次に、三芳幼稚園の具体的な教育内容について見ていきましょう。
・俳句、詩・茶道・体操・リトミック
・英語・ちえのみあそび・クラス菜園
・和太鼓・動植物の飼育・オペレッタ
この他にも、文字の読み書きや縫いさしなど、三芳幼稚園では様々な教育に取り組んでいます。
そうなんです。これら全てが勉強目的ではなく、遊びを通して学ぶことを目的としているからこそ、子供達も楽しみながら体験し、幅広く学んでいくことができるんです。
また、このような教育への取り組み以外にも、1日のなかで朝や帰りの会、給食などの時間を、3~5歳の縦割り保育で過ごすことにより、”思いやりの心”や”憧れの心”を育てていくこともできるんです。
自然環境や動植物との触れ合いだけでなく、様々な教育への取り組みを行うなかで、遊びを通した学びを大切にしている三芳幼稚園。
詳しい教育内容や年間行事など、【学校法人 フレーベル学園 三芳幼稚園】について、もっと知りたい!!そんな方は
教育方針や教育内容は異なりますが、彼の幼児教育を原点としている加賀幼稚園と三芳幼稚園。どちらの幼稚園も、とても魅力的で素敵な幼稚園でしたね。
今回ご紹介した幼稚園以外にも、彼の幼児教育を原点とした幼稚園は他にも沢山あるんですよ。
世界初の幼稚園と創設者【フレーベルってどんな人?】
フリードリヒ・ヴィルヘルム・アウグスト・フレーベル(Friedrich Wilhelm August Fröbel, 1782年4月21日 – 1852年6月21日)は、ドイツの教育学者。幼児教育の祖。
ウィキペディア
19世紀にドイツの幼児教育学者として活躍し、現在でも幼児教育の祖として、その名を残すフレーベル。
保育士を目指す人や、幼児教育に携わる人で彼を知らない人はいないといっても過言ではないくらい、その道の人にとっては今でも超有名人なんです。
けど、そうでない人にとっては「誰やこのイケメンなオッサン」ってなりますよね。
では、その「誰やこのイケメンなオッサン」と思っている人のために、彼の生涯を各年代ごとに表でまとめてみました。
世界初の幼稚園と創始者
フレーベルの生涯【幼少期~少年期】
フレーベルの生涯【幼少期~少年期】
0歳 | ドイツのオーバーワイスバッハ という、小さな村に誕生。 牧師の父と優しい母、6人兄姉 の末子として可愛がられるが 生後9ヶ月で母が亡くなる。 |
4歳 | 父が再婚。新しい母を迎える。 最初こそ可愛がられていたが、 弟(母の実子)の誕生を機に 疎まれるようになる。 |
4~ 10歳 | 孤独な彼は、自然と宗教の教え だけが心の支えとなる。 |
10歳 | 実母の兄であるホフマンが家に 訪れた際に、彼の状況に気づき 自分の元へ引き取ることを決意 |
10~ 14歳 | 穏やかで優しい叔父との生活で 家庭の暖かさを知る。学校でも 友人達に恵まれ、幸せな日々を 過ごす。 |
※大阪芸術大学【フレーベルの研究】参照
幼児教育の祖と聞いて、子供の頃は大層愛され、いい教育を受けてきたのでは…と思った人もいるのではないでしょうか。
しかし、そんなことはなかったんです。
生後間もなくして実の母を亡くし、2人目の母を迎え“甘えられる存在ができた”と思った矢先に、存在を疎まれてしまったのですから。
幸せだと感じる時間すら、少なかったのではないでしょうか。
そして、幼い彼の孤独や寂しさを埋めてくれたのは、自然と宗教の教えだけだったのです。
もし僕が彼の立場であったなら、きっとこう思うでしょう。
ちなみに話はそれますが、生き急ぎ野郎が主人公の大きなオッサン達が出てくる某漫画も、ドイツを舞台にしているそうです。
僕も好きですが、小さな子供のいる家庭で某漫画を読む時は、細心の注意を払って楽しみましょう。
ママに駆逐される前に話を戻します。
10歳~14歳まで叔父のもとで暖かい生活を送っていくこととなりますが、彼の賢信礼をもって、叔父との生活は終わりとなります。
賢信礼(けんしんれい)とは。
コトバンク
キリスト教で、幼児洗礼などすでに洗礼を受けた者がキリスト教徒として強められ信仰告白を行う儀式。
世界初の幼稚園と創始者
フレーベルの生涯【青年期~壮年期】
フレーベルの生涯【青年期~壮年期】
15~ 17歳 | 進学資金のなかった彼は、叔父の もとを出たあと働くことを決意。 森や山から農業の研究に携わる仕事 を考え、父の知人ヴィッツのもとで 林業や幾何学、測量士を学ぶ。 |
17~ 19歳 | イェナ大学哲学課へ入学。 学費が足りず、僅か2年で退学。 一度実家に帰ったが、父から親戚の 農場での仕事を勧めら、農夫として 働き始める。 彼の20歳の誕生日を目前にして、 父が亡くなる。 |
20~ 23歳 | 森林局の書記や、土地測量技師を 経験したあと、生涯の仕事として 建築家を目指すが、同時期に叔父 ホフマンが亡くなる。 叔父が残してくれた遺産をもって、 建築家を目指しフランクフルトへ。 |
23~ 25歳 | 友人の紹介から、小学校の校長を 勤めるグルナーと出逢い、小学校 教師となる。 この当時、教育界で活躍していた ペスタロッチーのもとで、2週間 実地見学を行ったことで、自分の 天職は教師であると自覚する。 |
25~ 27歳 | 本業で教師をやりつつWワークで 知人の子供達と共同生活しながら 家庭教師も行う。 この生活の中で、教育とは何なのか を考え始め、知人の子供達もつれて 再びペスタロッチーのもとへ。 27歳までの2年間で教育法と子供に ついて研究していく。 |
29歳 | 自然科学や言語学を研究するため ゲッティンゲン大学へ入学。 |
31歳 | 戦争が起こり、義勇兵となる。 この戦争で、”生涯の親友”となる ランゲタールとミッデンドルフに 出会う。 |
32歳 | 戦争が終わり、ベルリン大学付属 鉱物博物館の助手になる。 暫くして、兄の1人が亡くなる。 兄の遺した子供達を教育するため 教授の引き留めや教授職の名誉も 捨て、グリースハイムへ向かう。 また、別の兄からも子供の教育を 頼まれた彼は、小さな農家を借り 5人の子供達の教育を始める。 |
35~ 36歳 | 「一般ドイツ教育所」を設立。 彼の理想を実現するべく、親友の ランゲタールとミッデンドルフも 加わり、教育活動に専念。 しかし、翌年には経済的な問題で カイルハウの小さな農場に場所を 移し「カイルハウ学園」となる。 36歳の時、大学時代に知り合った ウィルへルミネと結婚。 |
※大阪芸術大学【フレーベルの研究】参照
叔父のもとを出た彼は、14歳で林務官の見習いとなり、その後も様々な仕事を経験していきます。
・森林局の書記・土地測量技師・農夫
こうした経験のなかで、彼は生涯の仕事として、建築家になろうと決意したのです。
この間、父や叔父との辛い別れが訪れますが、この別れによって建築家になることを改めて強く決意し、フランクフルトへ向かいます。
しかし、フランクフルトでのグルナーとの出逢いが転機となり、建築家ではなく教育学の道を歩み始めていきます。
そして教師となった彼に、さらに大きな影響を与えたのは、当時ヨーロッパの教育界で絶賛大活躍中のペスタロッチーとの出逢いでした。
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フレーベルがペスタロッチーから受けた影響とは?
教師となった年の夏、彼はスイスのイヴェルドンにいるペスタロッチーのもとを訪ねます。
約2週間の実地見学を経て、ペスタロッチーの教育思想や教育法に感銘を受け師事するとともに、彼自身の天職が教師であることを自覚する、大切なキッカケとなりました。
このあと、知人の子供達と共同生活をしながら家庭教師をしていくなかで、彼は教育に対して根本的な問題を抱えることとなります。
彼は知人の子供達を連れて、再びペスタロッチーのもとを訪ね、そこから2年間、ペスタロッチーの教育法と子供について研究していきます。
そして、この2年という時間のなかで、人間の教育で一番大切な時期は、幼児期にあることに気がつくのです。
このあと、イヴェルドン学園内での派閥問題などから学園を去り、子供達ともお別れすることとなりますが、ここで得た気付きがこのあとの彼の幼児教育へと繋がっていきます。
フレーベル、生涯の親友との出逢い
義勇兵として参加した戦争で、生涯の親友・協力者となるランゲタールとミッデンドルフと出逢います。
2人はこのあと、「一般ドイツ教育所」から「キンダーガルテン」の創設まで、彼の大きな支えとなっていきます。
フレーベル、兄の死からの決意
彼に訪れた二度目の転機。それは決して喜ばしいものではありませんでした。
兄達の中で最も信頼していた兄が、戦争により、幼い子供達3人と妻を残して亡くなってしまったことを、兄の妻からの手紙で知ることになったのです。
これを神から与えられた使命であると考えた彼は、兄の子供達を自らが教育していくことを決意します。
こうした数々の出逢いや別れ、学び、経験を通して、ようやく彼は幼稚園の基となる教育所を設立します。
しかし、このあとの中年期~晩年期でも、彼には様々な困難が立ちはだかることとなっていくんです。
世界初の幼稚園と創始者
フレーベルの生涯【中年期~晩年期】
フレーベルの生涯【中年期~晩年期】
36~ 43歳 | 妻も加わったことで、学園での生活 はさらに充実していく。 6人の生徒から始まったこの学園は 56人の生徒を抱えるほどに拡大。 |
44~ 47歳 | かつての戦争で、反政府体制運動に 参加した教師が学園内にいたことに より、政府は学園の教育法を弾圧。 学園の誤解を解くため「人間教育」 を発刊するが、内容が難し過ぎて 効果を得ることはできなかった。 生徒の親が不安を抱き、沢山の生徒 が退学。再び生徒数は6人となり、 財政難に陥ってしまう。 |
47~ 51歳 | 学園を守るため、様々な方法で手を 打つが、政府や宗教の重圧に押し潰 されていく。 そして悩んだ末に、一般の人に学園 の内情を公開。生徒の作品展や運動 会を開催し、彼の教育法に賛同した 人々によって学園は守られる。 |
53~ 54歳 | スイスの政府の誘いで、以前ペスタ ロッチーが活動していた孤児院の院 長となるが、妻が身体を壊し、僅か 一年で退職。 |
55~ 57歳 | ブラッケンブルクにて「児童のため の作業教育所」を開設。 教育遊具(恩物)の作成も始まる。 軌道に乗り始めた矢先、最愛の妻が 亡くなる。 |
58歳 | 「遊びと作業のための教育所」 キンダーガルテンが創設される。 |
※大阪芸術大学【フレーベルの研究】参照
中年期~晩年期にかけても、彼は様々な苦難に見舞われることとなります。
順調に思えていた学園生活は、政府や宗教からの誤解を受け、学園の教育法にまで疑いをかけられてしまったのです。
こうして発刊された「人間教育」ですが、本の内容が難しすぎて、一般の人にはほとんど読んで貰えなかったそうです。
そのため、彼の発刊した本だけでは、この問題に対しての効果を得ることには繋がりませんでした。
やがて、生徒の親が学園に対する不安を抱くようになり、次々と生徒達が退学。財政難に陥った学園は、教育学を続けていくことさえ、困難となってしまいます。
そして悩んだ末に、彼は学園の内情を一般に公開するという決断をしますが、これが結果として彼の教育学、学園の素晴らしさを人々に伝えるキッカケとなったのです。
中年期~晩年期にフレーベルが残した教育遊具【恩物(おんぶつ)】
彼はこれまで教育学を学び、実際に子供達の教育をしていく中で、幼児期の成長で最も大切なことは【遊び】であることに気づきます。
そして、この【遊び】は教育的なものであり、【学び】に繋がるものであると考えた彼は、この晩年期で、子供達が楽しく遊びながら、学びを得ることができる教育遊具【恩物(おんぶつ)】を考案し、制作しました。
つばめのお家
恩物(おんぶつ)って一体どんなものだろう。そう思った人も、この画像を見て気付いた人もいるのではないでしょうか。
恩物(おんぶつ)は全部で20種類あり、積み木の他にも、毛糸玉のような物や色のついた棒、小さな粒や色板など、様々な物が製作されたようです。
この恩物(おんぶつ)は、晩年期に創設された【キンダーガルテン】の幼稚園教育から、実際に使われていくこととなります。
中年期~晩年期も困難の連続でしたが、こうした日々を乗り越えた彼は、教育遊具である【恩物(おんぶつ)】の開発・制作を始め、58歳にしてようやく世界初の幼稚園【キンダーガルテン】を創設します。
彼の生涯についてもっと詳しく知りたい!!そんな方はコチラをクリック↓
世界初の幼稚園と創設者
フレーベルによって誕生した世界で初めての幼稚園【キンダーガルテン(子供達の庭)】
彼が教育学の道を歩み始めてから35年がたち、ようやく世界で初めての幼稚園が創設されます。
庭師(保育師)が植物(子供)の本性に従い |
ここで過ごす子供達の成長に、こうした願いを込めて、彼はこの場所を【キンダーガルテン(子供達の庭)】と命名しました。
フレーベルがキンダーガルテンで大切にしていたこと【自然の環境】
幼い頃から自然に触れ、自然から様々なことを学んできた彼は、子供が健やかに成長していくためには、自然の環境が必要であると考えました。
季節の移ろいを感じながら、草花や虫に触れ、植物の成長や生き物の生命に感動したり。ここで過ごす子供達にも、自然の中で様々な体験をしてほしい。
こうした彼の思いから、キンダーガルテンは森林や山の近くに創設され、広い園庭には砂場や花壇、子供達自身が植物を育てるための畑まであったそうです。
また、園内には「豆の部屋」や「描く部屋」「粘土の部屋」など、目的別の素材部屋も用意されていたそうですよ。
天気のいい日には、子供達はこれらの素材を持ち出しては、園庭や森で自由に遊びを楽しんでいたんです。
このように、子供達が過ごす場所として、彼はキンダーガルテンの自然の環境をとても大切にしていました。
フレーベルがキンダーガルテンで大切にしていたこと【遊び】
自然の環境と同じくらい大切にしていたこと。それは子供達の【遊び】から生まれる【学び】です。
“遊びこそ幼児期の最高の発達段階である”と考えた彼は、恩物(おんぶつ)を使った造形などを始め、歌、ボール遊びなど、遊びを中心とした保育を行っていました。
こうした遊びから、どのような学びへと繋がっていくのか、気になりますよね。
それでは、彼が制作した恩物(おんぶつ)の1つ、“積み木遊び”を例にした場合、この遊びから、どのような学びへと繋がっていくのか、一緒に見ていきましょう。
このように、たった1つの家を作るだけで、大きさや高さを始め、色々なことを考えますよね。こうして“考える”ことにより、思考力や想像力に繋がっていきます。
次は、作りたい家のイメージがハッキリしているとき。そんなときには、自分の中の「こうしたい!」を形として”表現“することで、表現力に繋がっていきます。
さらに、途中からお友達が加わったとしましょう。お互いの「こうしたい!!」のイメージが異なれば、意見が割れることもあるかもしれないですね。
でも、お友達と”積み木で家を作る”という“共同作業”を経て、連帯感やコミュニケーション能力へと繋がっていきます。
そして、自分の中のイメージを形にできたとき。”完成したこと”への達成感や満足感、自己肯定感へと繋がっていくんです。
僕達大人にとっては単なる遊びでも、子供達の中では”積み木で家を作る”ことにより、思考力や想像力を始めとした、様々な学びに繋がっていくんですね。
こうした遊びの体験が、子供達の様々な学びへと繋がっていく。だからこそ、キンダーガルテンでは、遊びをとっても大切にしていたんですね。
そして、彼が大切にしたキンダーガルテンの自然の環境や、遊びを中心とした幼稚園教育は、現在の僕達の時代にある幼稚園の環境や、教育方針の基になっていったんです。
世界初の幼稚園と創設者
【人から人へ、時代から時代へ~受け継がれるフレーベルの思想~その1】
キンダーガルテン創設から約10年後の1851年、宗教の対立や誤解から、政府が幼稚園禁止礼を発令します。
これにより、彼の創設したキンダーガルテンを始め、全ての幼稚園が閉鎖に追い込まれてしまうんです。
幼稚園禁止令発令の翌年。キンダーガルテン再開への願いが届かぬまま、彼は70歳でその生涯を終えることとなってしまうのです。
しかし、彼の死から2年後の1854年。彼の思想を受け継いだ1人の夫人が立ち上がります。
マーレンホルツ・ビューロー夫人によるフレーベル促進運動
2人の出逢いは、彼が67歳の頃。
リーベンシュタインの野原で、彼が子供と遊んでいる情景にビューロー夫人が感動したことがキッカケとなり、2人は友人となりました。
彼の抱く教育思想に大きな影響を受けたビューロー夫人は、彼の死後、政府の幼稚園禁止令を撤回するべく尽力を尽くすこととなります。
当時のドイツでは、幼稚園禁止令があったため、ドイツ内の幼稚園を再開・設立することはできませんでした。
そのため、ビューロー夫人は幼稚園の再開・設立を目的とせず、彼の掲げた理想を受け継ぎ、広めること、指導者の養成に力を入れました。
やがて、ビューロー夫人の活動により、イギリスでは凄まじいフレーベル促進運動が起き、フレーベルの教育思想をもとにした幼稚園が、次々と誕生していきます。
そして、月日は流れ8年後の1860年。
ビューロー夫人を始めとするフレーベル促進運動に参加した人々の活動により、幼稚園禁止令は撤回、幼稚園は再び再開されることとなったのです。
こうして、彼の思想を受け継いだ人々によって、僕達の住む日本にも、幼稚園のシステムが受け継がれてきたんですね。
日本のフレーベル【倉橋惣三(くらはし そうぞう)】
倉橋惣三は、大正~昭和にかけて活躍した日本の児童心理学者で、後にお茶の水女子大学付属幼稚園の園長先生となる人です。
キンダーガルテンの影響を受け、明治9年に日本にも幼稚園が設立され、恩物(おんぶつ)を取り入れた幼児教育が行われるようになりました。
しかし、当時の日本の幼稚園で行われていた幼児教育は、彼の考えたものとは大分かけ離れていたんです。
彼の本来の思想を大事にしてした倉橋さんは、【恩物(おんぶつ)は、子供が遊びを通して学ぶための玩具】であることや【遊びを中心とした教育こそが、彼の考えた幼児教育】であると主張し、当時の日本の幼児教育に大きな影響を与えたのです。
世界初の幼稚園と創設者
【人から人へ、時代から時代へ~受け継がれるフレーベルの思想~その2】
フレーベルから影響を受けているのは、人物だけではありません。みなさん一度は聞いたことのあるフレーベル館も彼の影響を受けた企業の1つです。
フレーベルに影響を受けた
【株式会社フレーベル館】
小さな子供のいる家庭なら、フレーベルと聞いて真っ先に思い浮かぶのは【株式会社フレーベル館】ではないでしょうか。
フレーベル館の絵本は、プレゼントにも最適!フレーベル館の絵本についてもっと知りたい方はコチラから↓
子供達に大人気の絵本を出版するフレーベル館の【フレーベル】も、実は彼の名前が由来となっているんですよ。
「フレーベル館」という名称は、ドイツの教育学者フリードリッヒ・ウィルヘルム・A・フレーベル(1782-1852) の名に由来します。
フレーベル館 公式HP
また名称だけでなく、フレーベル館のマークも、彼の作った恩物が由来となっているそうですよ。
フレーベル館のマークには、恩物のなかでも代表的な【円】【三角形】【正方形】を組み合わせたものから出来ているんですね。
名称やマークに彼の名前や恩物(おんぶつ)を由来とするフレーベル館ですが、絵本や玩具だけに留まらず、2018年には彼の教育思想を原点とした保育園まで設立してしまったんです。
株式会社フレーベル館運営
【フレーベル西が丘みらい園】
2018年に開園したばかりの、東京都北区赤羽にある【フレーベル西が丘みらい園】
フレーベル館運営のこちらの保育園では、植物を育てたり、日々の保育でも自然の素材を活用した遊びを取り入れるなど、都会でありながら自然との関わりをとても大切にしているんです。
子どもが育つ基本は、豊かな遊びの体験を通して、身体と心と頭がバランスよく育つことです。
フレーベル西が丘みらい園 公式HP
0歳~就学前までの幅広い年齢の子供達が集まるこちらの保育園では、【音楽】【造形】【自然】【絵本】を中心とした“遊びの体験”から生まれる”学び”や”成長”を、とても大切にしているんです。
また、開園から僅か1年ではありますが、季節の行事やイベントにも、とても力を入れているんですよ。
昨年末の【年末お楽しみ会】では、親子でランプスタンドの製作を始め、楽器演奏や歌によるミニコンサートや、ファッションショーなどが行われ、子供達だけでなく、親や先生もみんなで一緒に楽しい時間を過ごしたそうです。
まだ開園されたばかりのフレーベル西が丘みらい園ですが、フレーベル館運営の保育園というだけあって、凄く素敵な保育園ですよね。
保育方針や保育園の環境など【フレーベル西が丘みらい園】について、もっと知りたい!!そんな方は
まとめ
- 幼稚園発祥の地は日本じゃない?!フレーベルの素晴らしさを伝えるべく、平成最後のフレーベルの使者”初心者ライター・ミヤビ”が立ち上がる。
- 実は現代にも沢山ある?!フレーベルの教育思想を原点とした、千葉県と大分県の幼稚園。
- ただのイケメンなオッサンではない?!業界関係者の間では超有名人。幼児教育の祖・フレーベル!!
- 孤独や寂しさを抱え、自然と宗教が心の支えとなったフレーベルの【幼少期~少年期】
- 数々の出逢いと別れの中で、訪れる人生の転機。様々なことを学び、理想を実現するための一歩を踏み出した、フレーベルの【青年期~壮年期】
- 様々な困難に見舞われながらも、世界で初めての幼稚園を創設したフレーベルの【中年期~晩年期】
- 遊びを通して成長。自然との触れ合いを大切にした世界初の幼稚園【キンダーガルテン】
- 人から人へ、時代から時代へ。フレーベルの幼児教育を世界に広めた友人と、日本に正しい思想を広めた日本のフレーベル。
- 人から人へ、時代から時代へ、そして現代の子供達へ。名前や恩物(おんぶつ)を由来とするだけでなく、フレーベルの教育思想を原点とした保育園を設立!!株式会社フレーベル館。
今回はドイツのフリードリッヒ・フレーベルが、生涯をかけて世界初の幼稚園を創設するまでの物語をお届けしましたが、いかがでしたか。
自然の中で遊ぶ場所も機会もなくなり、教育ツールとして、幼い頃からスマホやゲーム機を手にする子供達が増えました。
こうした環境で育つことにより、公園に集まっては、ゲームで遊ぶ子供達の姿が当たり前となってしまいましたね。
教育法も教育ツールも遊びも、何でも揃う便利な時代。
こんな時代だからこそ、もう一度、彼がのこした幼児教育の原点へと立ち返ることが、必要なのではないでしょうか。