ざっくり言うと
- 子供たちが貧困から抜け出すためには、教育を受けることが必要。
- 子供たちにとっての教育とは働くための技術を身に付けさせること。
- 人格形成までを教育と捉えた(人間教育)
- 教育の対象を貧困層や民衆とした
ペスタロッチという人を知っていますか?え、知らない?大丈夫、私もです。パスタのような名前のペスタロッチですが(失礼)、「民衆教育の父」と呼ばれ、フレーベルなどの教育思想家たちへ大きな影響を与えたすごい人物です。
どんな教育思想を持っていたのか、その特徴も含め、ペスタロッチの教育思想が日本に与えた影響とは何なのか。調べていくうちに、現代の日本にもその影響が根付いていることに気付きました。
子供の教育を考えるときに知っておきたい、ペスタロッチのすべてをここに詰め込みました。知らないことを知るって面白いですよ!どうぞご覧ください。
ペスタロッチとは?

ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチは、18世紀後半から19世紀にかけてスイスで活躍した、教育実践家であり思想家です。


その点、ペスタロッチについてはどうでしょうか。
実際私も、教育について調べていく過程で初めて聞く名前でした。しかし、このペスタロッチ。現代でも多くの影響を与える教育思想を世に訴え、近代の教育史を語る上で欠かせない人物なのです。
墓碑からわかるその功績
ペスタロッチは、「民衆教育の父」または「近代教育の父」と呼ばれることもあり、教育界に多大なる功績を残しました。その功績が端的にわかる、ペスタロッチの墓碑に書かれいている言葉を、ここでご紹介しますね。
ハイリンヒ・ペスタロッチーここに眠る。
ペスタロッチー賞授賞式パンフレット より抜粋
1746年1月12日チューリッヒに生まれ、
1827年2月17日ブルックに没す。
ノイホーフにおいては貧しき者の救助者。
「リーンハルトとゲルトルート」の中では
人民に説き教えし人。
シュタンツにおいては孤児の父。
ブルクドルフとミュンヒェンブーフゼーとに
おいては国民学校の創設者。
イヴェルドンにおいては人類の教育者。
人間! 基督者! 市民!
すべてを他人のためにし、
己には何物も。
恵あれ彼が名に!
実際にペスタロッチは、貧しい人たちや民衆に目を向け、時には助け、学校を作ったり教育の在り方を説いたりと、その81年の生涯をすべて人のために使いました。
墓碑にここまで記されるのですから、彼の功績は素晴らしく、当時から賞賛されていたことが伺えます。
ペスタロッチの教育思想、理念

ペスタロッチは、大学時代に哲学者ルソーの思想にふれ、農業経営と教育者の道を目指すことになります。



フランスの哲学者ルソーは、多くの著書を残していますが、特に「エミール」は、ペスタロッチが教育者を目指すきっかけになったと言われています。
ペスタロッチは農場を「ノイホーフ」と名付け運営していくのですが、このノイホーフが彼を教育者、はたまた教育実践者として躍進していくきっかけになりました。

ペスタロッチは、どのような想いを持っていたのか、彼がどんな教育の形を目指したのか、教育思想とその特徴をキーワードに沿ってまとめます。
すべては貧困を食い止めるために

ペスタロッチが「ノイホーフ」と名付け運営していた農場のある村で、彼は村の子供たちの現状を知ります。
非行に走ったり、物乞いをするしか他がない悲惨な状況の子供たちを見て、ペスタロッチはノイホーフを、貧しい子供たちのための学校にできないかと思うようになりました。
ペスタロッチはこのような考えから、非行や物乞いをするしかない状態から、子供たちが生きていくための教育を受けられる環境を与えようとします。ここだけでも、十分に尊敬に値しますね。

実際にペスタロッチは、子供たちを家に受け入れ、食事を与え、衣服を与え、働くようにしつけて、教育と訓練の場を提供しました。このノイホーフでの出来事は、ペスタロッチの教育者としての始まりだったと言えます。
彼自身、結婚して子供もいましたが決して裕福ではなく、むしろ貧しくて苦労したようです。自分の生活も大変なのに、他人のことまで考えられるなんてと思いますが、きっと家族はもっと大変だったことでしょう。
それでも、家族はペスタロッチを支えました。ペスタロッチの周りには、家族のように彼を支えてくれる人達がいたから、こうして現代にも名を馳せるまでの活躍ができたのですね。


ペスタロッチのノイホーフ以降の活躍を見ても、彼は、孤児や貧困層などの子供たちに特に焦点を当て、教育実践を行っていきました。
ペスタロッチを一躍有名にした著書に、「リーンハルトとゲルトルート」があります。そこでペスタロッチは、貧困が民衆の問題の根底にあり、そこから救うためには経済的な自立が必要と説いています。
すべては貧困を食い止めるために。その思いがペスタロッチを動かし、教育界に大きな影響を与えるまでになったのですね。
貧民、民衆を教育対象とした「民衆教育の父」

ペスタロッチが活躍した18世紀頃、イギリスでは産業革命、フランスではフランス革命と歴史的にも重要な出来事が多くありました。
そんな中でヨーロッパでは、啓蒙思想主義が台頭し、ペスタロッチもルソーの啓蒙思想に触れることになります。
啓蒙思想とは、ヨーロッパで17〜18世紀
にもりあがった合理主義の考え。教会の権威
や封建的な考えを否定し,人間の理性をよりどころにして社会の進歩をはかろうとした。イギリスのロック,フランスのモンテスキュー・ルソーらが有名。
学研キッズネットより
ペスタロッチの教育実践は、それまで初等教育で行われていた、先生が文字を教えたり聖書を覚えさせたりするような教育とは違って、人格形成までを含めた教育を求めました。
教育を受けることによって生活が豊かになれば、心に余裕ができて、道徳的な人間に成長できると考えたのですね。



またペスタロッチは、著書「隠者の夕暮れ」の冒頭で、以下の名言を残しています。
「玉座の上にあっても、木の葉の屋根の蔭に住まわっても、本質において同じ人間」
Hitopediaより
教会の権威とか身分による差などなく、人間の本質は皆同じだとして、すべての人間の人間性を発展させていくものが教育だとペスタロッチは考えていました。人間教育といわれるものです。
ヨーロッパは封建社会でしたが、そんな時代に、人間の本質は平等だと言い切ったペスタロッチは、まさに貧困層や民衆の救いの人だったのでしょう。
文字を教えたり聖書を覚えるような教育を、一般の民衆も受けてはいましたが、ペスタロッチのこのような考えが教育界において認められ、ペスタロッチは「民衆教育の父」と呼ばれるまでになりました。

ちなみに、教育書として有名なルソーの著書「エミール」は、主に家庭教師の方法が書かれていて、富裕層や中級階級を対象としています。そのため、民衆を対象としたのはペスタロッチが初めてと言われています。
メトーデの確立

ペスタロッチの功績として挙げられるものに、メトーデの確立があります。これは直観教授による教育方法のことです。
子供の「直観」に認識させる方法。
ひらめきの「直感」ではなく、観ることで理解させる実物主義な考えによる教授方法。
知識を言葉で覚えさせるのと違って、実際の物や絵画、写真などを観せて触れさせて興味を引き出し、感覚器官を通じて知識を習得させる。
子供に知識として言葉で教えても、子供は興味を持ちづらいし、勉強に対して受け身になってしまいます。
ペスタロッチは、そのような従来の教育方法を否定し、生涯における教育の実践を通して、メトーデを確立させていきました。
ペスタロッチは、著書「ゲルトルート児童教育法」で直観教授の重要性を説いています。子供たちに楽しく効率よく教えるために、見て触れて感覚的、具体的に習得させる方法をとるメトーデは、現代においても広く普及している教授方法です。




わが家の家計問題はともかく、日本では明治時代の初等教育に、ペスタロッチのメトーデが取り入れられました。ですが、後にヘルバルト主義の教授法が積極的に導入されてしまいます。
戦後、教育の原点回帰により、ペスタロッチの教育法が見直されて現代に至っています。