ざっくり言うと
スイスに生まれ、自らが考える理想の教育を生涯追い求めたペスタロッチ。生涯追い求めるなんてとってもかっこいいですよね。
そんなジェントルマン、民衆教育の父と呼ばれた彼の教育思想「直観教授法」とは何なのか、一緒に理解していきましょう。
INDEX
ペスタロッチとは

その人の考えを知るためには、まずはその人のことを知らなければ始まりません。というわけで、「ペスタロッチ」で検索検索~~。
ペスタロッチ
スイスの教育家。急進的愛国主義運動,農業経営,貧民学校の試行錯誤を経て,家庭の再生と子どもの知性・道徳・技術を育てる教育によって民衆の道徳的更正と自立をという思想に至る。この立場に立った教育実践のなかで,知識の基本的要素(形・数・言語)の分析と構成の理論や直観重視の教授法を打ち立て,これらは初等教育理論に大きな影響を与えた。その思想は,フレーベル,ディーステルウェークらドイツの教育家のみならず,日本でも長田新らに引き継がれている。著書《ゲルトルートはいかにその子を教えるか》等。



ペスタロッチの人生
さっそくペスタロッチの人生を皆さんと一緒に知っていきましょう。まずは簡単にペスタロッチ年表を作成してみました。こう見えて歴史は得意科目だったのですよ。ふふふ。
1746年:スイスのチューリヒに生まれる(0歳)
1751年:腕利きの医者であった父が死去(5歳)
少年時代:牧師であった祖父と母親と過ごす中で、人格的な影響を受ける
学生時代:哲学者ルソーの影響を受ける
1768年:農業経営を開始するも、2年ほどで挫折(22~24歳)
1774年:孤児や貧困児のための学校を設立するも、うまくいかず閉鎖(28歳)
1780年:以後18年間、著作活動を開始する(34歳~)
1798年:ドイツのシュタンツ村で孤児院を設立するが、半年で閉鎖(52歳)
1800年:スイス政府の依頼を受け、ブルクドルフに学校設立(54歳)
1804年:教員養成の学校を設立(58歳)
1818年:念願の貧困児童のための学校設立(72歳)
1827年:ブルックで生涯を終える(81歳)
長い人生の中で、挑戦と挫折を繰り返したことがわかりましたね。では、次はもう少しペスタロッチの人生を深堀してみましょう。一体誰のどんな思想が彼の直観教授法を生み出すきっかけになったのでしょうか。
内容がとてもわかりやすく理解できたのですが背景の暗さのあまりところどころ読めないところがありました直していただけるとありがたいです!教員採用試験の勉強に使いたく、また読みたいので…!