ざっくり言うと
- 《貧民学校》資金不足と、親たちからのわがままな要求から運営が成り立たなくなる。
- 《孤児院》ペスタロッチの思想への反対派に横槍を受ける。
- 《教員養成学校》学園内の派閥争いで収束がつかなくなった。
- ペスタロッチは、貧しい子どもたちにも平等に教育が必要と唱えた
- 子ども自身が、感覚的に物事に触れることで、子どもの成長の基礎を作る
- ペスタロッチ曰く『生活そのものが人間を作り上げる』
- ペスタロッチの熱い教育への想いが、今の日本教育にも影響を与えている
みなさんはペスタロッチってご存知ですか?スイスの教育家らしいのですが、
その名言が深イイという話題を聞き、思い立って調べてみることにしました。
教育の歴史の中で「民衆教育の父」とも称されるペスタロッチ、その教育思想とは?
一体どのようなものなのでしょうか。
モンテッソーリやフレーベル、いろんな教育について調べてきたけれど、また新キャラ出現。。
ペスタロッチとは?
ペスタロッチの名言について調べる前に、
そもそもペスタロッチってどんな人?ってところからスタートしましょう。


いえいえ、違いますよ。みやびくん!
ペスタロッチとは、18世紀後半から19世紀にかけてスイスで活躍した教育思想家で、
正しい名前は「ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチ」と言います。
(翻訳によっては「ペスタロッチー」とも呼ばれます。)
ペスタロッチは、単なる思想家ではなく、教育実践家とも呼ばれています。
①20代半ば、ルソーの著書『エミール』に影響を受け、教育者と農業経営を志す。
「ノイホーフ」と名付けた農園と貧民学校の運営に乗り出す。
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運営に行き詰まり、3年弱という短い期間でどちらも閉鎖することに。
②その後、教育家としての活動や執筆活動に専念。
③20年程が過ぎた1789年、隣国フランスにてフランス革命が起こる。
その影響でペスタロッチの祖国スイスでも革命が起こり、
スイス国内ではたくさんの孤児が出る。
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孤児たちに無償で奉仕したいというペスタロッチの熱い想いから、
ペスタロッチは「シュタンツ」という街で孤児院の運営を任されるようになる。
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しかし、この孤児院も半年で閉鎖へ。
④1800年、教員養成施設「イヴェルドン学園」を開く。
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評判が評判を呼び、世界各地から観覧者が集まるほどに。
(影響を受けた教育者にはフレーベルやヘルバルトなどがいる。)
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ペスタロッチは子どもたちそれぞれの出生などに関わらず、貧しい子にも教育をという想いを持っていたが、
それとは裏腹に、評判になればなる程、中流階級の子どもが集まるという状況に。
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結局、学園内の教師の派閥争いも相まって、1825年に学校は閉鎖されることに。
ここだけ見ると、学校や孤児院を運営しては閉鎖に追い込まれるペスタロッチは、本当に優秀な教育家だったのか?若干不安を覚えます。
しかし、さらに調べたところによると、実際に閉鎖に至る理由のすべてが、
教育理念にではなく、経営者として側面にあったようです。
ペスタロッチの教育に対する熱い想いが先走った結果、周りの人を上手に巻き込みきれなかったという感じなのかな。なんだか一番かわいそうなのは子どもたちな気もするけど。。
現在では、ペスタロッチは「民衆教育の父」とも呼ばれ、先生や保育士を目指す人は必ず授業で習うなど、日本教育においても影響力を持つ存在となっています。
18世紀の日本はというと、江戸時代中期で、寺子屋が各地で開かれ始め、一部の武士の子どもが読み書きを習うようになった頃です。そんな頃から身分に関係なく平等に教育をと考え行動していたペスタロッチ、なんて人格者なのでしょう!
子どもの教育について興味のある方、こちらの記事もご参考にどうぞ。
ペスタロッチの教育思想とは?《直観教授・メトーデ》

ペスタロッチは現代の日本にも大きく影響している教育法を確立しました。
それが「直観教授」「メトーデ」という手法です。
直観教授とは
「直観」とは、目の前で具体的・感覚的なものに触れること。子どもたちが「数」「形」「語(ことば)」(=直観のABC)に興味を持ち自発的に触れることで、子どもの感覚に訴えかけ、子どもの思考力や言語能力獲得の基礎を作ろうという手法を「直観教授」と言います。
そのためペスタロッチは、実際に子どもたちに農作業や機織りをさせたり、絵画や模型見せを通して、「直観教授」を実践していました。
この当時は、教育とは教師が子どもに本の文章・言葉を覚えさせ、知識を習得させる「概念教授」が主流でした。教育の方法からみると、「直観教授」はまさに対比的ですね。
メトーデとは
先程の「直観教授」の手法を用いて、知的教育・身体的教育・道徳教育の根本力を育てていくことを目的とした教育法のことを「メトーデ」と言います。
こうしてみると、ペスタロッチの教育思想は、今の日本教育にも根付いているんだなと実感します。フレーベル館の絵本や、キッザニアのお仕事体験は、直観教授の手法のひとつと言えるということなのですね。
大好きなフレーベル館の絵本!こちらもご参考にどうぞ。
名言からペスタロッチの思想を知る!

ペスタロッチの考えは、著書や名言の中に込められています。
「玉座にあっても、木の葉の屋根の陰に住んでいても、すべて同じ人間である。」
ペスタロッチ著『隠者の夕暮れ』より
この言葉はペスタロッチの名言の中でも一番有名です。
『隠者の夕暮れ』は、ペスタロッチが初めて運営した、ノイホーフという農園と貧民学校を閉鎖した後に記した本です。人間は誰しも生まれながらに平等であること、人々が貧しさから抜け出し、幸せに暮らしていくためには教育が必要であることが述べられています。

この考えって、福沢諭吉の「学問のすゝめ」で述べていることと同じなんですよね。福沢諭吉が学問のすゝめを書いたのは1872年、つまりペスタロッチはその100年も前に平等な教育の重要性を感じて、実践に移していたと考えると、なんだか偉大な人ですね。
他にも同時期にこのような言葉を残しています。
「忍耐心を持たなければならないようでは、教育者としては落第である。愛情と歓びを持たねばならない。」
ペスタロッチ「家庭の幸福は、最も良き、最も著しい自然の関係である。」
ペスタロッチ著『隠者の夕暮れ』より「人間が互いに愛情を示しあうところ、神は近くにある。」
ペスタロッチ著『リーンハルトとゲルトルート』より
ペスタロッチは、子どもに物事を教える教育者には、家庭のような暖かさが必要であると述べています。その上で、身分や貧富の差に関係なく、すべての子どもが教育を受ける権利を持っていることが、ペスタロッチにとって、とても重要だったことが分かります。

「どんなに貧しい、どんなに不良な子どもの中にも、神様より与えられた人間性の力があると信じている。」
ペスタロッチ著『シュタンツだより』より
『シュタンツだより』は、フランス革命で両親を亡くした孤児たちを集めて、シュタンツという街で経営していた孤児院おいて、ペスタロッチが実践していた教育について記した本です。
ペスタロッチは、どんな子どもも生まれながらに無垢で純粋な存在と考えていました。だからこそ、そんな子どもたち一人ひとりに、愛を持って教育することが大事だと唱えていました。なんだか熱血先生って感じですね。


「善悪についての説明を、日常の家庭的な状況や場面と結びつけるようにしなさい。また、十分にそれらに基づいているかに留意しなさい。」
ペスタロッチ著『ゲルトルートはいかにその子らを教えるか(ゲルトルート児童教育法)』より
ペスタロッチは、この著書の中で、児童教育法について記しています。そして、人間教育は、知的教育や身体的教育を経て、「道徳教育」によって完成されると述べています。これは著書『白鳥の歌』の中でも述べられています。
また、著書『探求』においても、自然状態・社会的状態を経て「道徳的状態」の人間にすることが教育の目的だと述べています。
人間形成において、最も大切なのは道徳であると考えたペスタロッチ。現代では当たり前に感じますが、ペスタロッチの生きていた時代の激しい貧困差を考えると、その信念の強さは本当に素晴らしいもののように感じます。
「生活が陶冶(トウヤ)する」
ペスタロッチ著『白鳥の歌』より
この言葉も、ペスタロッチの考えを語る上では、大事なキーワードです。
『白鳥の歌』は、教員養成のために作られた「イヴェルドン学園」が閉鎖となってから、ペスタロッチの生涯で最期に記した本です。陶冶(トウヤ)とは、人の性質や能力を十分に育て上げることを言います。つまり、「生活そのもの」が人となりを作り上げるということを意味しています。
子どもにとっては、生活それ自体が成長につながるってことですよね。うーん、当たり前のようだけど、あらためて考えると、何だか身の引き締まる思いです。
最後には、このような言葉も残しています。ペスタロッチが教育に人生を捧げていたことが伝わってきます。
「あぁ、すでに長い間ただ一筋に、実にただ一筋に、私の青年時代以来、私の心の内は激しい奔流のように、私はわたしの周辺に、その中へ民衆が沈んでいくのを見た悲惨の源流を塞き止めるという目標に向かって、ただ沸き立っていた。」
ペスタロッチ著『白鳥の歌』より
ペスタロッチは「悲惨の源流」=「貧困」をなくすには、聖書を読めるようになることじゃなく、まず子どもが自分の力で考え、生活していけるような力を育てることが大事なんだ、と考えていました。
ペスタロッチが、子ども一人ひとりの未来だけでなく、その先にある社会のあり方さえも、見据えていたことが伝わってくる言葉です。
ペスタロッチにはこんな批判も
当たり前ですが、支持する人がいれば、批判する人もいます。
ペスタロッチは学校を作っては、上手く行かないということを繰り返していたため、
批判者からは「星に気をとられて足元の穴に落ち込む男」と揶揄されたりもしていたそうです。
そんなこと、ほんとに実現できるの?と聞きたくなるような高い高い理想を掲げるペスタロッチ。
そして、それを机上の空論だと妬む学者。そんな光景、何だか想像がつきますね。
それでも挑戦を繰り返したからこそ、今の教育があり、ペスタロッチがここまで教育史に名前を残しているということなのかもしれません。
実践ペスタロッチ!って何をすればいいの?

せっかくペスタロッチについて勉強したので、きお太の教育にも実践していきたいと思うのですが、実際に普段の生活に活かすには何をしたら良いのでしょうか。
モンテッソーリ教育は教材があったり、フレーベルも積み木があったりするけれど、
ペスタロッチには、何か教材ってあるのでしょうか。
ペスタロッチの考え方は、物事について言葉だけで説明するのではなく、感覚的に子どもに知ってもらうこと。そのため、教材は何かと言うならば、図鑑や絵本、体験がそれに当たります。
子どもが大きくなってくると「これなーに?」「どーして〇〇なのー?」といろんな質問をしてきますよね。それに対して、言葉で説明して終わるのではなく、図書館や児童館に行って一緒に図鑑を見てみたり、時には動物園や水族館に行ってみたり、イベントに参加していろんな体験をさせてあげたり…それがペスタロッチ教育法の実践と言えるかもしれません。

主な著書

ペスタロッチはたくさん著書を残しているので、参考までに記載しておきます。
もし、読んでみようかなと思われた方には、『隠者の夕暮』がおすすめです。
ペスタロッチの教育論が一番込められた本とも言われています。
その他は参考までに著作名だけ記載しておきます。
・『リーンハルトとゲルトルート』1781-1787年
・『クリストフとエルゼ』1782年
・『立法と嬰児殺し』1783年
・『然りか否か』1793年
・『人類の発展の歩みについての私の研究』1797年
・『寓話』1797年
・『探求』1797年
・『シュタンツだより』1799年
・『ゲルトルートはいかにその子らを教えるか(ゲルトルート児童教育法)』1801年
・『我々の時代と私の祖国の無垢と真面目さと高貴さについて』1815年
・『白鳥の歌』1825年 など
まとめ
以上、いかがでしたでしょうか。
なんとなく理解は出来ましたが、常に生活の中で気をつけるっていうのはすごく大変な気もしますよね。でも、意識するだけで、少しずつ子どもにより良い成長の機会を与えられるのかもしれません。無理のない範囲で、出来ることから初めて見るのも良いのではないでしょうか。