【STEAM教育インタビュー “Technology”】職業は「医師&社長」山田裕揮氏に聞く幼児教育(1)

ざっくり言うと

  • 医師と社長、どちらの夢も叶えた人物の生い立ちや受けてきた教育がわかる!
  • 子供が勉強に率先して取り組んでくれる方法を紹介。
  • 医学部受験に成功する人の特徴は…?

医師でもあり、ベンチャー企業社長でもある山田氏は、一体どんな教育を受けてきた?!
2つの職業に共通するマインドとは?!

自身も指定難病と闘う患者でありながら、医師と社長、二つの顔を持つ山田氏のキャリアとビジョンに迫ります。

<経歴>
和歌山県立医科大学出身。自身が厚労省特定難病疾患を持つ患者であり、リウマチ膠原病専門医。自身が医学生の時に地元に専門医が不在のため患者として地域医療の課題を痛感する。堺市立総合医療センターで初期研修時に奄美大島で離島医療を体験。その後聖路加国際病院、慶應義塾大学病院を経て自分一人では全ての地域の患者さんを救えないことから、仕組みから地域医療現場を変えることを志し株式会社Mediiを創業。

幼少期について

生まれ育った地域や環境をご紹介ください。

生まれは和歌山県なのですが、父親の仕事の都合で6歳まで滋賀で育ちました。それ以降は、医学校を卒業するまで和歌山で育ちました。

どんなお子さんでしたか?子供の頃好きだったことは何ですか?

一言で言えば活発で好奇心旺盛という感じですかね。ありとあらゆることに対して興味を持っていて、特に興味を持ったのは、植物や虫でした。また、みんなが当たり前だと思う自然現象について興味を持ってひたすら調べて突き詰めていくことをしていました。特に図鑑から興味へのきっかけを得ていました。図鑑は大好きでよく広げていました。

周りの子供と比べて変わっているところはありましたか?

自分としては何も思っていなかったのですが、人からはよく「変わっているね」と言われることがありました(笑)

幼稚園に通っていましたか?それとも保育園に通っていましたか?

冒頭の質問で滋賀に「6歳まで住んでいた」と答えた通り、途中で園を変わってしまっていて、6歳までは幼稚園に通っていて和歌山県に帰った後は保育園に通っていました。
妹の場合は私と2歳違いであるため、ほとんどの期間和歌山の保育園に通っていたと思います。

小学校は公立ですか?私立ですか?

小学校は公立でした。小学校の私立受験は和歌山では少ないと思います。

子供の頃にやっていた習い事について教えてください。またそこから得たものがあれば教えてください。

公文に通っていて、全教科習っていました。ほかにもいろいろな習い事を親に進められて通っていました。習字や剣道、水泳などもやっていましたね。
結局、好きなものを続けることができて、好きじゃないものに対してはあまり成長がなく、続けることもできないということに気づき、その物事が”好きかどうか”で能力が伸びるかどうか変わってくるのではないかと、当時から考えていました。

子供の頃の夢は何ですか?

結論から言うと、子供の頃の夢はなかったですね。子供の頃の夢を書くときは、「役に立つことをしたい」と書いていて、その理由は自分の書いたことに縛られたくなかったからですね。ですが、後世に何かを残したい、爪痕を残したいとは思っていました。

両親について

ご両親は厳しかったですか?エビソードがあれば教えて下さい。

まったく厳しくなかったですね。「勉強しろ」という風に言われたことすら一度もないですね。
習い事の公文に通うきっかけも、親から言われたのではなく、友人が公文に通っていてその子に勉強で負けることが嫌だったので、自ら望んで通っていました。

冒頭で子供の頃に自然現象などに興味があったとおっしゃっていましたが、その時に出てきた疑問についてどうやって解決していたのですか?ご両親が答えをいつも教えてくれていたのですか?

両親ではなく、母方の祖父が慶応大学の工学部出身であったため、直接質問することで自分の中で生まれた疑問を解決してもらっていました。しかし質問の答えだけを教えるのではなく、その答えに辿り着くまでのプロセスを教えてくれることによって、自分で答えに辿り着くことを学びました。

ご両親の教育を振り返り、何か印象的だったことはありますか?

僕の場合、習い事に関してはあれこれやってみれば?と言われることもありましたが、公文はじめ勉強に関しては自ら率先して取り組んでいたため何も言われませんでした。

子供が山田さんのように勉強に率先して取り組んでくれない場合はどうすれば良いですかね?

子供に勉強することの大切さを話したところで、なかなか子供は理解できないと思います。では、どうやって伝えるのかというと、興味を持ってもらえるように仕向けるため、その子に合わせて”さりげなく”工夫するのがいいかと思います。そのために、その勉強の目的は何かを伝える側が明確にしなければ難しいのかなと。
例えば、サッカー選手になって欲しいとしてサッカーをしたことない親にとりあえずボールを蹴りなさいと言われても嫌になるように、医師になって欲しいから勉強しなさいと言われるのはそりゃ嫌に思うだろうなと思うんです。それなら、医療ドラマを観せてでも医師の友人に協力してもらってでも、医師という職がどのようなものでどれくらい素晴らしい、かっこいいもので、なりたい!と思わせられる”夢”を持たせることができるかが大切かなと。勉強はそのためのただの手段ですし、医師になることさえ手段ですし、どうありたいのか、ということをイメージさせてあげられるかが重要で、自分が子供だったらそこに自ら引っ張られていきそうだなと思いました。
ただ後ろから応援するのではなくて前から引っ張る方が大切だと思います。

社員全員おそろいの会社ロゴTシャツでインタビューをうける山田氏

受験と中高時代

中学、高校は地元の公立ですか?また進学校でしたか?

中学、高校共に公立でした。中学では教室でタバコを吸っている生徒や窓ガラスを割る生徒もいるようなところで育ってきました。高校は進学校ですね。
中学の集まりはあまりないのですが、高校の集まりは結構頻繁にあり、毎年、忘年会などをするぐらいには深い交流がありますね。

医学部を志したきっかけは?

理由としては大きく分けて2つあります。
自分の好奇心を持っている学術範囲であったということと、社会的に役に立つ仕事をしたかったと思っていたことです。
将来は研究者になってノーベル賞をとりたいと中学生の頃は思っていて、小中高から先取りして自分のやりたい勉強について学んでいました。高校一年生の時に「母親に研究者になりたい」と話したところ、「それでは食べていかれへんで」と言われた時にある事に気づきましたね。
というのも、自分の家は途中から母子家庭であったため、父のようになりたくない気持ちがあったんです。自分に子供ができた時に父親としての仕事が全うできるよう、夢を追う仕事は選ばない方がいいなと思ったこと、医療には学術的興味があったことから、医学部を目指しました。

受験は苦労しましたか?

医学部の受験は理系文系科目問わずこなせるオールラウンダーでなくてはいけなくて、理系科目に関しては、興味があって得意であったため何の問題もなくクリアできたのですが、国語の勉強に関してはどうしても学術的な面白さを感じることができず苦労しました。
公立の学校で進学してきたのですが、中高一貫の私立の学校であれば早い段階でカリキュラムを終わらせて復習しなおすこともできるため、中高一貫で同じ内容を2~3周するようなカリキュラムをうまく活用できると本当は良かったかなと思います。

都会と地方の医大生に何か差はありますか?日本と海外の医大生の差もあればあわせておしえてください。

都会と地方の医大生にほとんど差異はないと思います。強いて言うなら学術に没頭できるかどうかぐらいですかね。都会には楽しいものが多くて遊びの誘惑が近くにある、といった点では地方の医大生の方が勉強に没頭できる環境があると感じますね。
日本と海外の医大生の差はあります。留学していたからこそわかることなのですが、海外に関しては制度が大きく違っていて、患者を診るための医学教育システムが出来上がっている。
日本では4年生までは座学のみがメインであることに対して、海外であれば現場での実習を1年生からすることができ、より臨床現場に出て実践的である点が違いますね。

その後、国家試験を無事に終えて、実際医師として働き始めるのですね。
次回へ続きます。

1件のコメント