ざっくり言うと
- 専心的活動(子どもが集中して取り組むことが出来る活動)であること。(=さまざまな科学的な知識を学ぶことができる)
- その仕事を通して、人類の歴史的な進歩の片鱗を感じられること。
- 子どもたちが協力して取り組むことが出来る内容であること。
- 共通の目標として認識できる
- 協力して参加できる
- 強制ではなく、自ら参加できる
- 『思考の方法』1910年
- 『哲学の改革』1919年
- 『経験と自然』1925年
- 『確実性の探求』1929年
- 『経験としての芸術』1934年
- 『自由と文化』1935年
- 『経験と教育』1938年
- 『論理学』1938年
- 『人間の諸問題』1946年 など
- ジョン・デューイは、20世紀前半に活躍したアメリカの哲学者
- デューイは『学校と社会』の中で、教育の中心は子ども自身であり、小さな社会とも言うべき学校で、「総合的な学習」や「問題解決型学習」のような統一されたカリキュラムを与えるべきだと主張した
- 「プラグマティズム」も「公共性」の考え方も、どちらもアメリカ社会の特性を踏まえ、その未来を担う子どもを育てるという点に根本がある
- 家庭で子どもに質問された時、すぐに答えを教えず、考え方のヒントを与えることが、子ども考える力を伸ばす
- デューイの著書として『学校と社会』以外に、『民主主義と教育』『経験と自然』なども有名
みなさんはアメリカの哲学者デューイをご存知でしょうか?
デューイの教育思想は、日本の学校教育に大きな影響を与えたと言われています。今日は、そんなデューイの著書『学校と社会』を要約しながら、デューイの教育理論や考え方についてまとめてみたいと思います。
目次
哲学者デューイとは?
それでは、デューイの著書に触れる前に、まずデューイとはどのような人物なのかを一緒に確認しておきましょう。
ジョン・デューイ(1859~1952年)は、20世紀前半に活躍したアメリカの哲学者です。高校や小学校の先生を経験した後、シカゴ大学やコロンビア大学などで大学教授を務め、『学校と社会』(1899年)や『民主主義と教育』(1916年)『経験と自然』(1925年)など、多くの著書を残しました。
デューイが生きた19世紀後半から20世紀半ばにかけてのアメリカは、めまぐるしい社会変化に包まれていました。
いち農業国だったアメリカが、凄まじい経済成長を遂げ、1914年第一次世界大戦や1929年世界恐慌を経験していきます。産業革命を経て先進的な工業国へと成長したアメリカに、様々な地域からの移民が押し寄せるようになったのもこの時期です。
アメリカがそのような社会変化の波をどのように乗り越えていくべきか、デューイは深く考え続けました。それがデューイの教育理論や考え方の根本にあります。
デューイの著書『学校と社会』の要約
それでは早速、デューイの代表的な著書のひとつである『学校と社会』の内容を見ていきましょう。
1899年に出版された『学校と社会』は、デューイがシカゴ大学で創設した「実験学校」での検証記録をまとめたものです。
デューイは、化学や物理学と同じように、教育学も理論を検証する実験・研究の場が必要だと考えました。その考えから、シカゴ大学在籍時に「実験学校」を創設し、3年間、教育研究や検証を行いました。
教育の中心は子ども!それはコペルニクス的転回
『学校と社会』の中でデューイは、教育の中心は教師でも教科書でもない、子ども自身だと主張しました。「重力の中心移動」という言葉を用い、それまでの教育のあり方を否定したのです。デューイはこれを「コペルニクス的転回」と言い表しています。
「旧教育は、これを要約すれば、重力の中心が子どもたち以外にあるという一言に尽きる。重力の中心が、教師・教科書、その他どこであろうと良いが、とにかく、子ども自身の直接な本能と活動以外のところにある。(中略)今日の我々の教育に到来しつつある変革は、重力の中心の移動である。それはコペルニクスによって天体の中心が地球から太陽に移された時と同様の変革であり革命である。(中略)子どもが中心であり、この中心のまわりに諸々の営みが組織される。」
「学校教育の中心は子ども」という考え方は、今でこそ当然のように感じられるかもしれません。しかし、当時の学校教育にはまだその視点がありませんでした。
当時は、教師または教科書のような絶対的なものの考えを、子どもに教え込むことが教育であると考えられていました。これでは、子どもが学ぶという過程は同じでも、子どもの身に付く力が変わってしまうはずです。
ここで注意したいのが、デューイは、子どもが中心であると言いましたが、それはあくまで生活者としての中心であるということです。子どもの興味関心に従って、それだけを伸ばそうということではありません。
単に生活のための技術を覚えさせるのではなく、これからのアメリカ社会の中心となっていく子どもたちに、先の経済を見据えた教育を学校で受けさせるべきだと考えました。
学校は小さな社会!学校のあり方を再定義
デューイは、「学校」は「小規模な社会」であると述べています。学校は、経済性や生産性から解放された、同じ目標に向かって協力して活動する共同体であるべきだと主張しました。
「学校」は、単に「算数の授業」「歴史の授業」などを机に向かって学ぶだけの場ではなく、友達と協力して何かをするなど「生活」とリンクさせるが重要だと考えたのです。
学校はいまや、(中略)生活と結びつき、そこで子どもが生活を指導されることによって学ぶところの子どもの住みかとなる機会を持つ。学校は小型の社会、胎芽的な社会となることになる。
デューイ著『学校と社会』(岩波文庫)P31より
デューイがこのように考える背景には、当時のアメリカ社会の状況が大いに影響しています。
19世紀から20世紀のアメリカでは、急激な経済成長により工業化が進み、移民社会を築いていました。そして、その状況が様々な対立を生じさせていきます。経済成長によって労働者と資本家の対立が起こったり、新たな移民の流入によってそれまでの住民との間で対立が生じたり、人種間の差別的対立が顕在化したりするようになりました。
そのような状況を捉えていたため、デューイは、国を安定させるに学校教育の重要性を訴えたのです。
デューイは、ただ教科書を読ませたり覚えさせたりするような、それまでの学校教育のあり方を批判しました。一方的に知識を詰め込むだけでは、子どもは形式的で受動的にしか行動出来なくなってしまうため、これからのアメリカ社会の変化に対応していくことが出来ないと考えたのです。
このデューイの考えは、今から100年以上前に提唱されていることに驚きます。同じような主張をテレビや紙面で見たことがある気がするくらい、現代的な考え方のように感じられます。
学校のカリキュラムの統一を提言
学校のあり方を再定義すべきと述べたデューイ。その上で、学校のカリキュラムの統一を提言しています。
デューイの掲げる「統一」は、すべての学校のカリキュラムを同じにするという意味合いではありません。計算や文法、歴史や地理など、どれも重要なものではあるけれど、どれも断片的でバラバラの方向を向いているため、本当に生活に即していると言えるのか、とデューイは指摘します。
ひとつの物事の中から、様々な要素を学び、複合的に考え、実践していく過程すべてを含むカリキュラムであるべき、と言う意味での「統一」を主張しました。つまり、今で言う「総合的な学習」「問題解決型学習」の重要性を訴えたのです。
子どもがこの共通の世界にたいする多様な、しかし具体的かつ能動的な関連の中で生活をするならば、彼らの学習する学科は自然に統合されるであろう。(中略)教師は、歴史の課業の中にわずかばかりの算術をおりこむために、あれこれと工夫をめぐらすといったような必要性もなくなるであろう。学校を生活と関連せしめよ。然らばすべての学科は、必然的に相関的なものごととなるであろう。(中略)さらにまた、もし全体としての学校と全体としての生活とを関連せしめられるのならば、学校の種々の目的や理想―教養・訓練・知識・実用―は、(中略)個々ばらばらなものではなくなるであろう。
デューイ著『学校と社会』(岩波文庫)P107より
デューイは、「学校」は「小さな社会」と考えるべきだと主張したように、そこで学ぶ内容も、子どもの将来に役立つよう、生活に沿った内容であるべきだと考えました。
たしかに、普段の生活の中で、授業で習った1つの科目の内容だけで完結することって、どれだけあるでしょうか。単なる衣食住という「生活」ではなく、社会で生きるという「生活」として考えると分かりやすいと思います。
例えば、新しい仕組みや物事を考える時、これまでの歴史や成り立ちを調べたり、周囲にアンケートを取り統計を出したり、見積もりや予算の計算をしたり等、これまでの知識を総動員して、一番良い答えを出そうとしますよね。
そのように、いろんな視点を持って考え、実行することが出来るような「統一」されたカリキュラムが、教育の場でも必要だとデューイは考えたのです。
かかる注意は常に「学習」用のもの、言い換えれば、他人が尋ねるであろうところの問題に対する、すでに出来上が出来上がっている解答を記憶するためのものである。一方、真の反省的な注意は、常に判断・推理・熟慮を含んでいる。すなわち、それは子どもが自分自身の問題をもっており、その問題を解決するための関係材料を探求し選択をすることに能動的に従事し、(中略)その問題が要求するような、解決の道筋を考察することを意味する。(中略)それは真の訓練、すなわち統制力の獲得であり、また言い換えれば問題を考察する習慣の獲得である。
デューイ著『学校と社会』(岩波文庫)P180より
また、デューイは疑問を解決する道筋を立てる力、考える力を養うことの重要性を述べています。そして、その力は生活に即した学校のカリキュラム(オキュペイション)によって、定着させることが出来ると考えたのです。
では、具体的にどのようなオキュペイションを良しとしたのでしょうか。
学校で子どもたちに取り組ませるべき「典型的な仕事」であること。
〈3つの条件〉
『学校と社会』について、もっと詳しく知りたいと思われた方は、是非一度実際の本を手に取ってみてくださいね。
「プラグマティズム」と「公共性」というキーワード
『学校と社会』の発表以降も、デューイはたくさんの著書を残しています。
それらの中には、デューイが語られる上で外すことが出来ない「プラグマティズム」という考え方があります。日本語では「実用主義」と訳されます。また、「公共性」というキーワードもまた、デューイの思想を知る上でとても重要なキーワードです。
『学校と社会』の理解にも通じるものがありますので、少しその内容に触れておきたいと思います。
プラグマティズム(実用主義)とは?
デューイと言えば「プラグマティズム(実用主義)」の思想家とも言われるほど、代表的な思想です。1916年に発行された『民主主義と教育』の中で解説がなされています。
プラグマティズムとは、物事の真理を追求する際に、頭の中の理論や信念からではなく、行為やその結果によって判断しよう、という思想です。プラグマティズムの考え方の背景には、ダーウィンの進化論があります。
デューイは、それまで哲学的な考え方に留まっていたプラグマティズムの考え方を、教育や芸術、民主主義社会など、適用範囲を広げ、世界に広めました。つまり、プラグマティズムの実践の道を示した人物と言えます。
デューイは、行動をする際に、その都度検証・修正を加える判断をする姿勢が重要だと考えました。判断基準というのは、必ずしも絶対的な何かが常にある訳ではなく、行動の結果次第で変化していくものだと考えたからです。科学や道徳などの知識や概念は、問題解決のための手段や道具であると位置づけました。
プラグマティズムは、現代の教育現場でも重要とされるワードであり、企業でも重視されるような、非常に現代的な考え方と言えるのではないでしょうか。
デューイの考える「公共性」とは?
デューイの考え方として、「公共性」というキーワードがあります。
デューイの考える「公共性」とは、様々な要因で対立する人たちでも、力を合わせて参加することが出来るような共通の目標であることです。
対立する立場の人たちでも、
性質であること。
デューイはそのような「公共性」を持った人間を育てることが、学校の役割と考えました。
それまでの学校の役割は、いち生活者を育てることでしたが、デューイは「公共性」を持った生活者を育てることを重視しました。それが、民衆主義時代に求められる生活者であり、変動めまぐるしいこれからのアメリカ経済を支えていく存在であると考えたのです。
デューイの「公共性」の考え方に関しては、こちらの本でわかりやすく解説されています。ご参考までにどうぞ。
以上のように、「プラグマティズム」も「公共性」の考え方も、どちらもアメリカ社会の特性を踏まえ、その未来を担う子どもを育てるという点に根本があるように思われます。『学校と社会』で記された、実験学校での経験がここに生きているのではないでしょうか。
デューイの考え方に興味を持たれた方はこちらの記事もご覧ください。
実践!デューイの教育理論を家庭で生かすには?
例えば、みなさん普段、子どもに「〇〇ってどうしたらいいの?わかんない~」「ママ、これ教えて~」と言われて、「はいはい、それはね」とすぐに答えを教えちゃうことってありませんか。
デューイの考え方を実践するならば、そこは答えを教えるのをぐっとこらえましょう。なぜなら、その瞬間が「子どもの考える力」を伸ばすチャンスだからです。答えを教えるのではなく、答えを知るための方法をヒントとして教えてあげるなどに留めておくと良いでしょう。そうすることで、受け身ではなく、自発的に考え行動する力が養われます。
行動し、反省し、また行動しながら学ぶ。子どもの学習の基本かもしれませんね。
デューイの他の著書もご紹介
デューイの考え方に興味を持たれた方のために、他の著書も簡単にご紹介させていただきます。
1916年に発行された『民主主義と教育』はデューイの代表的な著書です。
『民主主義と教育』の中で、デューイは個人と社会の関係について記しています。普段の生活の中で、大人から子どもへ文化が伝達されることで、子どもは社会の一員となっていき、それが連続していくことが社会であると説明しています。その中で、新しい文化を創造する能力と、変化に合わせて適応する能力身につけることが重要だと唱えました。
1938年に発行された『経験と教育』も、デューイの代表的な著書のひとつです。
『経験と教育』の中で、デューイは経験とは何か、教育のあり方について記しています。経験には連続して影響し合う性質と、置かれている状況によっても意味付けされる性質があると述べています。だからこそ、子どもの頃の教育が子どもの未来にも影響すると考え、学校教育のあるべき姿について語っています。
最後に、その他のデューイの著書を記載しておきます。『学校と社会』『民主主義と教育』『経験と教育』の3つがデューイの代表的な著書ですので、こちらの本は参考までに。
デューイ以外の教育理論や教育法について興味を持たれた方は、こちらの記事もご覧ください。
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まとめ
以上、いかがでしたでしょうか。一見難しいデューイの教育理論ですが、詳しく見てみれば、今の現代教育でも良く耳にする考え方だったように思われます。今の教育のベースになっているということですね。
家庭での実践、我が家では分かってはいても出来ていない場面が多々あるので、少しずつでも実践していきたいものです。