【STEAM教育インタビュー “Science”】宇宙で働くママに聞く幼児教育(1)

ざっくり言うと

  • 宇宙の現場で働くスーパーママの生い立ちや受けてきた教育がわかる!
  • 日本とアメリカの教育、比較すると…?!
  • 帰国子女が日本で英語をキープする方法を紹介!

宇宙の魅力は「未知がたくさんあること」。

JAXAで働く女性はどんな教育を受けてきた?!仕事もプライベートも充実させ、メディアでも注目される中野氏のキャリアとビジョンとは?

慶應義塾大学理工学部卒業。卒業後、JAXAで【フライトディレクタ】を務めつつ、現在は1児の母でもある、中野氏の豊富な経験や働き方への葛藤、これから理系の世界で活躍する人材に必要と思われる素養や能力の磨き方などについて、ぎふと編集部がお話を伺いました

幼少期について

生まれ育った地域や環境をご紹介ください。

生まれてから幼稚園の年長までは栃木県宇都宮市に住んでいたのですが、父の仕事の都合により6~11歳までアメリカのオハイオ州に住んでいました。小学校5年生のころには宇都宮にもどり、その後中学受験をしました。

子供の頃好きだったことは何ですか?

外で遊びまわることも好きでしたが、何よりも宇宙が好きでした。変わってますよね(笑) 宇宙好きになったきっかけは、アメリカの小学校のプロジェクトで自分が好きな惑星について発表をする課題でした。私は火星を選んだのですが、地球の隣の惑星にもかかわらず知らないことが多く、図鑑などで調べているうちに段々と宇宙に魅了されてしまいました。

周りのお友達と比べて変わっていた点はありましたか?

物事を好きになったらそれに対しては積極的で、自分のやりたいことに対しては頑なに意見を曲げないという点ですかね。両親に自分のやりたいことを告げても否定をすることなく、何でも挑戦させてもらえる環境でした。

日本で幼稚園あるいは保育園どちらに通っていましたか?また、その園に何か特徴はありましたか?

幼稚園に通っていました。教育に熱心な幼稚園で油絵や音楽、英語といった教育の導入となるような活動を中心としたイベントが行われていました。

アメリカでの小学校生活

アメリカでの小学校時代、左から4番目が中野氏

アメリカで通われていた小学校は公立ですか?私立ですか?

月曜日~金曜日はアメリカの現地の公立小学校に通っていて、土曜日は補修の役割も担っていた日本人学校に通っていました。月曜日~土曜日までみっちり学校にいました。平日はほとんど英語で会話して生活していました。

子供の頃にやっていた習い事について教えてください。またそこから得たものがあれば教えてください。

ピアノは長期間やっていて5歳から大学生2年生までやっていました。他にも塾、水泳をやっていました。その中でもピアノは毎年発表会があって、自分の実力より少し背伸びしたところに目標を設定してそれ向かって努力した点が良かったところだと思います。記憶が定かではないですが、水泳も幼稚園の頃からやっていたと思います。
また、アメリカに行ってからは絵も学んでいました。絵に興味を持っていて両親に絵について学びたい!と伝えたらすんなりと承諾してくれて、習いに行っていました。

アメリカと日本の教育の違いについて感じたことを教えてください。

アメリカでは主張が強くないと自分の意見が埋もれてしまうため、「主張をきちんとできる」ということが評価されていました。それ以外にも自分の学びたいジャンルごとにクラスを分けて、成果を競わせたりする活動があったため、自分のやりたいことに専念できるような授業がありました。そういった点では日本の教育とは違うところがある、と感じました。

ご自身が母となり、日本とアメリカの教育を受けた経験を踏まえ今後どのようにお子さんを育てていきたいですか?

どちらの教育にも長所があるため、両方経験させたいと思っています。きっちり勉強を進めたいタイプなのか、自分のやりたいことに向かって学びたいタイプなのか、両方の教育を経験させて自分に合う方法を知り、大学進学等の際に選択できるようにできたらいいと思っています。

両親について

ご両親は厳しかったですか?

教育の面では厳しかったですが、しつけに関しては理不尽に怒られることはなかったですね。

教育の面で厳しかったところはどこですか?

勉強をするという習慣づけですね。朝幼稚園に行く前に早く起きて勉強をして、幼稚園から帰った後に勉強をするという、朝晩2回の勉強のサイクルを幼稚園から小学校まで毎日続けていていました。
ディズニーランドなどに行く日でも、毎日の勉強を欠かさずやっていたためとても大変でした。

なかなか教育熱心だったのですね。ご両親の教育について、現在ご自身が母となり何か思うことはありますか?

当時の私は言われるがままやっていたことですが、今そのことを思い出すと、毎日早い時間から起きて勉強の準備をしたうえで朝ご飯の支度等もしてくれていたため、母はとても大変なことをしていたんだな、と感じますね。
ですが、それがあったおかげで毎日勉強に取り組む姿勢ができたと思うので、感謝しかないです。

両親から将来のために何か準備されている、と感じたことはありますか?

いろいろな選択肢を用意してもらったと思っていますが、それらの選択肢の中から親が何かを決めるのではなく、自分で決めてきて今があります。

帰国後の受験と中高時代

慶應義塾大学に内部生として入学されていますが、まず付属校を受験しようと思った理由があれば教えてください。

付属校の一つである慶應湘南藤沢中等部が、祖父母の家に近かったこともあり憧れを持っていたのですが、実際受験するまではまさか受かると思ってはいませんでした(笑)本当は栃木の学校を受験して進学するつもりだったため想定外でびっくり!そのためそのため中学一年生から親元を離れて祖父母の家に居候して学校に通っていたのですが、それを決断することに迷いはなかったです。

受験は苦労されましたか。

受験は苦労しました。勉強しても勉強しても「不合格になってしまうのでは…」と心配でした。月並みですが、合格した時は本当に嬉しかったです。

帰国子女とのことですが、日本に帰国後英語力はどのように維持されていましたか。

帰国子女はアメリカに行ったら自動的に英語が話せると思われがちです。もちろん生活していると発音は身につくのですが、英語が学力として身につかないで帰ってくるとどんどん忘れていってしまいます。
そのため、英語で日記を書き続けていました。日記を書くことで、英文法と英作文を日常的に扱い、自分の意見を自由自在に話せるレベルの英語を学力として身に着ける努力をしました。だからこそ、英語力を維持できていたのだと思います。他にも年相応のレベルで使えるようにするために、英語でのスピーチやディベートを繰り返すことで練度を高めていました。

文法や英作文の指導を自分ではできないというママたちへのアドバイスはありますか?

自分でチェックできなくても言語というものは毎日の積み重ねによって成熟するものなので、毎日いろいろなタイミングで英語に触れる機会を与えることが大事だと思います。英語の絵本を全く読まないよりは、それっぽい発音で読んであげるほうが断然良いと思います。

日本のインターナショナルスクールについてどのような印象を持っていますか。

インターナショナルスクールは日本という環境の中でいろいろが文化などに触れられるという点では素晴らしいと思いますただ英語教育に偏りすぎるスクールも多い印象のではなく、音楽や体育などの専門性のある選択肢にも触れられる環境であれば尚良いと思います。

慶應義塾大学理工学部へ進学した理由を教えてください。

もともと宇宙飛行士になりたいという夢があったのですが、もし宇宙飛行士になれなかった場合を考えたときに、宇宙の中でも有人宇宙に興味があったので人を宇宙に送り込むためにはどんな技術が必要で何をすればよいのかを学びたかったため、それに一番近かった学部を選びました。理工学部であれば、いろいろな方面から宇宙に関連付けられるという点からも理工学部を選びました。

それからJAXAへとつながっていくのですね。
次回へ続きます。